この雑誌は僕の敬愛する羽生生純先生が表紙を書いており、また、僕の生き方に大きな影響を与えたクーロン黒沢氏がコラムを書いていたりするなど、個人的には好きな雑誌でした。創刊号の大槻ケンヂのインタビューとかも良いなあとおもいました。
記事の内容的にもワーキングプアとか中国とかネットマスコミとか売れそうな感じなのに、休刊するんですね。
でも、内容の面白さと雑誌が休刊するって言うのは関係なくて、雑誌を買う人がすくないから休刊するんじゃいっていうのも違う気がします。
というのも、以前文化系トークラジオライフで誰かがそんな感じのことをしゃべっていて、なるほどなあと思った記憶があり、そのおぼろげな記憶を頼りに記述してみました。ようは需要と供給をよみ間違えただけって言う。
で、このm9って雑誌とオシャレとの関係についてなんですが、こういった雑誌を読むことによって読者の中にたまるものっていうのは、ものの見方であったりさまざまな語句であったりまあ、十派一絡げに薀蓄といってもいいものかなあと思います。そしてオシャレっていうのは突き詰めていくと、薀蓄の世界に入っていくような気がします。
僕は洋服屋へ上着を見に行ったのですが、店員さんにいろいろ薀蓄を語られました。今期のそのシリーズはサイズ的にはツーサイズほどアップしているんですが、アームホールの部分などのシルエットが微妙に変化していまして、より幅広い人に来ていただけるようになっていますよ。とか。
たくさんの分類するための語句があって、何のための語句?何のための分類?ってことになってしまいそうです。
でも、そういった語句は自分の好みなり、なりたいすがたにちかずくために必要なもので、より多くの語句を知っていたほうがより無駄のない服をまとえて、より酒の肴の小話みたいなんが楽しめるようになります。
たとえばピーコは迷彩のアイテムなどミリタリーもののアイテムは身にまとわないといっていました。
その理由はって問われると、だってね、あたし、戦争には反対だからって言っていました。
こういうのが酒の肴の小話としてしゃべれることによってアップするものがオシャレ度であると僕は考えます。